鴨川デルタ   TOP
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  10月 6日(日) 晴
 
 午後からのまいまい京都に参加するために、午前中は仁丹を探す。 堀川通より東の今出川から丸太町の間。
 
 今までに何度も探したところだが、20年前のリストには何ヶ所かあると教える。 ひょっとして...
 
 昼前に探し終わる。 一枚も見つからなかった。 残念だがそんなこともあるさ、と納得。
 
 
 昼食休憩を終えて、出町柳に向かう。 自転車を預けようとしたら満車で断られた。
 日曜の昼だからこんなこともあるんだナ。 別の駐輪場に置いて集合場所へ。 もう「まいまい」の担当者が待っていた。
鴨川デルタ
 
 手前の石の中州は以前にはなかった。 台風が残した跡。
 
 
 ガイドも自転車を置くのに手間取ってるとの事。 最近は自転車にも駐輪が厳しくなってるからナ。
 
 14時の集合時刻の15分前には参加者全員が揃った。 改札前の集合場所から外に出る。
 
 陽射しが強烈だから、日陰を探してまいまいが始まる。 まずは自己紹介。
 
 大阪・高槻からの参加者もいる。 向日市の少し向こうナだけ? もう一人は大学関係者で神戸から。
まいまい風景鯖街道口(今出川口)
 
 鴨川デルタに移動。 「古い橋は直線だった。」の話から河原に降りる。
 
 飛び石の亀が、この前の台風で一部埋まってる。 浅いと言っても30〜40pは礫で埋まった。
亀の飛び石
 
 通行等に影響がないから現状復旧は後回しになるだろうが、大雨対策としては復旧が必要だろう。
 
 距離表0.0kmを見て歩き出す。 何しろ陽射しが強いから、できるだけ日陰を探して歩く。
 
 いろいろ話が出る。 公園の銅像は尾上松之助。 「目玉の松ちゃん」と言ってしまう。 言わなくてもイイのに。
泉川の放流口
 
 古い地図と比較しながら、この辺りは富豪のお金で築堤したとか。 それでできた土地は富豪が販売した。
 
 だからこの辺りは大きな家が並ぶ。 道路も4間幅だから当時としては大通り。 大正時代だ。
 
 昭和10年の「京都大水害」の時 ほとんどの橋が流された。 北大路・今出川・七条が残ったが、それ以外は全部流された。
 
 さて 橋の復旧。 どうする。 蓼倉橋は人道橋として架けられた。 以前の車道ではなく。
大きな橋桁に小さな橋
 
 自動車の通行を拒んだ、エコの魁。 今 見習うところがたくさんあるのでは、と思った。
 
 川底を掘って堤防を造る。 土砂の移動距離を最小にしなければ、工事費が莫大になる。 人力工事ではなおさら。
 
 高野橋が近づいた。 ここで話は終了。 あとはアフターまいまい。 話が尽きない。

 本日の走行距離 39.7km 走行時間 2時間 41分 平均時速 14.7m/h TOP
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