京都検定 7
応仁の乱跡 MAP
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  6月 7日(月) 曇
 数日前 阿弥陀寺で信長紀が営られたとの報道があった。
 京都検定の誤答を尋ねていく予定を忘れていた。 そうだ 「京都検定7」に行かねば。
 
6-2-16
日本三如来の一つである「薬師如来立像」(重文)を本尊とし、「因幡堂」とも称される寺院は?
ア 壬生寺イ 仏光寺ウ 平等寺エ 上徳寺
 
 まずは平等寺。 「因幡堂」も「日本三如来」もはじめて聞く。
 高辻通を烏丸まで来た。 何気に北に向かう。 アレ 四条通が近い。 戻る。
 松原上るが正解。 写真を撮って次へ。
平等寺「因幡堂」平等寺「因幡堂」
 
 阿弥陀寺は以前に調べた堀川今出川上るに向かう。 「山名宗全」の屋敷跡を見つける。
山名宗全の屋敷跡
 山名宗全は応仁の乱の西軍の大将。 いや自分の屋敷に陣を構えたから「西軍」。 そして西陣の地名となった。
 
 その屋敷も応仁の乱の戦いで焼ける。 宗全自身も長く続く戦いの中で死亡する。 今残る民家の間のこの記念碑だけ。
 
 
 
 阿弥陀寺は見つからない。 近所を走り回る。 かなり広い範囲の案内図を見つけて、探す。
 そこにも阿弥陀寺は見あたらない。 どうも間違っているようだ。 京都検定7は失敗。
 
 再度調べて、出直すとしよう。

 本日の走行距離 47.6km 走行時間 2時間 53分 平均時速 16.6km/h top
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  6月 8日(火) 曇のち晴
 昨日帰った後、阿弥陀寺を調べた。 最初に出てくるのが、やはり今出川堀川西(大宮東)。
 そこで阿弥陀寺に信長を加えて検索。 ようやく寺町今出川上るの「阿弥陀寺」を見つけた。
6-2-18
開山の清玉が本能寺の変で自刃した織田信長らの遺灰を密かに集めて祀ったといわれ、境内に信長父子や森蘭丸らの墓がある寺は?
ア 金戒光明寺イ 清浄華院ウ 阿弥陀寺エ 瑞泉寺
 
 今日も探しに出かける。 もう迷うこともないから気楽に出かける。 ところが空は暗い。 低い雲が立ち込める。
 今にも雨がパラつきそう。 
 
 寺町通も今出川より北では南北に走ってない。 鴨川の流れに沿って北北西−南南東方向だ。
 御土居の時もここを走っているし、何度も走っている道。 でも阿弥陀寺を認識したのは今回が始めて。
阿弥陀寺阿弥陀寺本堂
 
信長の墓森欄丸らの墓
 
 結構広い敷地に大きな本堂。 その裏には込み合った墓地がある。 その一角に信長の墓。 その横には森欄丸らの墓が並ぶ。
 
 
 ここは相国寺が近い。 そして上御霊神社も近い。
4-3-71
西陣は京都市上京区から北区にかけての広域地名である。室町中期()付近で応仁の乱の戦端が開かれた
ア 上御霊神社イ 下御霊神社ウ 晴明神社エ 梨木神社
 
 上御霊神社の鳥居の脇には、応仁の乱の碑がある。
上御霊神社応仁の乱勃発の碑神社の北に布陣した東軍
 
 
 ここで戦闘が始まって、応仁の乱は11年続く。 京の町は、ほとんどが焼けつくされた。
 室町将軍の跡目争いが発端。 ほかにも跡目争いがあったようだが。
 
 11年続く争いで、町衆は大いに困った。 そして争った両軍も。
 
 果たしてこの争いに勝者はいたのだろうか? どちらも困窮して、室町幕府は衰退していく。
 全部が敗者の戦いが、応仁の乱ではなかっただろうか?
 
 一番困ったのは町衆。 人口は減って上京と下京の2地区を柵で周りを囲い自衛する。
 上京と下京の間をつなぐのは、室町通一本だった。
 
 自衛するための自治組織も、上京は上洛した信長に焼き打ちをされてしまう。 単に意に沿わないだけで。
 
 下京はこの頃から祇園祭を続けている。 もう一月後になってきたナ。

 本日の走行距離 26.5km 走行時間 1時間 36分 平均時速 16.5km/h top
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 第6回京都検定の誤答を尋ねていく「京都検定7」は、今回だけでなく 1月から始めている。
 
 1月17日には三十三間堂を訪ねている。
6-2-42
1月15日に近い日曜に、浄水に柳の枝を浸してその水を信者の頭上に振りかける「柳のお加持」が行われるのはどこか
ア 三十三間堂イ 聖護院ウ 真如堂エ 珍皇寺
 
 2月には伏見醍醐を訪ねて、日野にも行ったナ。
6-3-54
鴨長明が「方丈記」を書いた草庵跡とされる長明方丈石は( )にある
ア 鳴滝イ 下鴨ウ 並ヶ丘エ 日野
 
 3月28日には、等持院・清漣亭を見に行った。
6-2-64
茶室と寺院の組合せ
ア 時雨亭−等持院=清漣亭イ 好文亭−青蓮院
ウ 遼廓亭−仁和寺エ 夕佳亭−金閣寺
 
 5月25日には、京都東北部で北山別院を見てきた。
6-2-19
親鸞が六角堂に百日間の参籠を行った際延暦寺からの往き帰りに身を清めたという「御聖水」で知られる寺院は?
ア 岡崎別院イ 西大谷ウ 東大谷エ 北山別院
 
 そのほかの問題もたくさん間違えたけど、修学院離宮・仁和寺・神護寺・妙心寺・天竜寺・西芳寺もすでに行った所。
 でも工芸品・書籍などの重要文化財は簡単に見られないし、覚えてもいられない。
2-08
万治2年(1659)修学院離宮を訪れた( )は日記隔?記に御庭の滝風景 凡そ眼を驚かせ、肝胆に徹するものなりと記下
ア 宗峰妙超イ 西笑承兌ウ 鳳林承章エ 関山慧玄
2-22
平安時代の漆工芸品として貴重な「宝相華迦陵頻伽蒔絵?冊子箱」(国宝)は( )に伝えられている
ア 上品蓮台寺イ 仁和寺ウ 泉涌寺エ 智積院
2-23
神護寺に伝わる( )(国宝)は、空海が密教の秘法を授けた人々の名前を記したもので、その中には最澄の名もある
ア 久隔帖イ 白氏詩巻ウ 離洛帖エ 灌頂歴名
2-26
妙心寺の塔頭退蔵院の庭園(史跡・名勝)は、「都林泉名勝図会」に( )の作庭と記されている枯山水である
ア 狩野元信イ 松永貞徳ウ 石川丈山エ 竹田梅竹軒
3-65
天竜寺は足利尊氏が後醍醐天皇の冥福を祈るため、( )を開山に迎え建立した
ア 円爾弁円イ 義天玄承ウ 無関普門エ 夢窓疎石
3-66
「苔寺」と呼ばれる西芳寺には、千利休の息子少庵が構えた茶室( )がある
ア 八窓席イ 湘南亭ウ 傘亭エ 松琴亭

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