お土居めぐり MAP TOP

 2月19日(火) 晴 光の春 お土居めぐり

  連日雪の舞う日が続いた。が、今日は降らないだろう。
 どこへ行くのかが問題。決まってるさ。古い京都の街を探しに行く。
 
 空気は冷たいが、日差しは汗ばむほど(少し大げさかな) 道端の温度計は4℃。まだ冬かな。
 
 羅城門に着いたのは10時25分。ここから走り始める。
羅城門跡千本通近くのバス停
 調べに調べを重ねて「お土居」の跡を探して走る。アレレ この前に走ったコースと一緒。
 千本通りを少し北上して、JRの線路にさえぎられる。そうだ 朱雀大路とおんなじコース。
 
 羅城門の羅城とは市街をぐるりと囲む壁のこと。羅城門は門だけで平安京に羅城はなかった。
 羅城に相当するお土居を作ったのは誰? そう 豊臣秀吉!
 この秀吉は京の街にすごい変革を残したすぐれた土木事業者。
 暴れ川の宇治川をおとなしくさせるのに付け替え工事をした。「太閤堤」の遺跡を宇治市の観光に利用しようとしてる。
 
 正方形の碁盤の目だった道路を南北の通りを倍に増やして短冊形にした。だから東西に走ると交差点が近い。
 寺町と北の寺の内にお寺を集めた。これは軍事的な対策でもあったようだが。
 
 そしてお土居で街を囲んだ。秀吉はそんなに長く権力者じゃ無かったよな。決断力がすぐれていた。
 それとも優れたブレーンに囲まれていたのかな。
 
 そういえば住んでいる山科にもお土居がある。本願寺の山科別院の寺内町を囲むお土居が今も残っている。
 すぐ近くの山科中央公園に保存されている。今にも崩れそうになっている。酷使されているからな。
山科中央公園のお土居
 
 朱雀大路と同様に梅小路公園の中を西に。山陰線の線路脇がお土居跡。朱雀大路を一緒。
 少し行って左折。山陰線の西を北上。このあたりは中央市場の中。混雑の中を通り抜ける。
山陰線中央市場混雑してる
 
 四条通の手前でまたも左折。西大路通り近くまで西に行く。そして北上。四条通を渡る。
新千本通先に嵐電の線路が
 横を嵐電が走る。
四条通と交差嵐電のそばを行く
 通りの名は「西土居通」  ここにもお土居が残っていた。
 嵐電に別れを告げて御池通を過ぎて少し行くと、京都地方気象台に出た。
 女子駅伝で円町からの上りが続く手前に短い下りがある。そこにお土居があったから!?
 
 左折して西大路をこえてすぐ右折。北上。頭上に山陰線円町駅。その下をまっすぐ進む。
 公園はお土居の名残なのか?細長い。
 そばの学校は「北野中学」 お土居保存で有名。学校内にあるのでそっと入って遠くから写真を。
頭上に円町駅細い公園北野中学の中に
 
 もう東に向いている。これからは紙屋川沿いにお土居はあった。今出川通りを過ぎて北野天満。
紙屋川北野天満宮お土居遺跡
 でも道はお土居に沿って走っていない。何度も紙屋川を渡ってお土居近くを通る。
道は階段に
担いで上る
 象山光悦芸術村に来た。これは失敗。このあたりでお土居は東に向く。
 地図を見ても近くに橋はない。かなり戻ってお土居の追跡。
 
 仏教大学のあたりで道に迷う。道が曲がりくねっているので方向感覚がまひ。
 かなり走って千本北大路で間違いに気づく。戻る。北大路をこえているが道は東西南北。
 ところが東北東の道がある。お土居の跡。40mほどの間隔で平行する道。ビンゴ!お土居の跡に違いない。
 そのまま堀川通りまで行く。途中大宮公園は休園。外から写真を撮る。
大宮公園加茂川中学校そばのお土居遺跡
 御幸橋近く加茂川中学校そばのお土居遺跡。
 
 加茂川のすぐそばを走る。川のせいかお土居のせいか道は南南東に進む。
斜めに交差する道
 やはり並行する道がある。その間がお土居だったのだろうか?
 いつしか寺町通になり、額縁門(天寧寺)を通過。盧山寺境内のお土居も見て寺町二条。
額縁門盧山寺境内のお土居
 
 お土居は河原町通り近くを南下。でも河原町通は自転車が走れないので、木屋町通りを行く。
 五条高瀬川。お土居はこのあたりから高瀬川沿い?
 七条高倉から塩小路通りへ。京都駅の0番ホームはお土居の跡だとか。
 油小路から九条通に出て東寺から九条通を羅城門に戻ったようだ。
高瀬川東寺五重塔
 
 13時58分 32.4km これでお土居一周できた。
 お土居は残っているのはほんの少しだけれど、大切に保存したい。

本日の走行距離(自宅までの往復を含む) 80.8km 走行時間 4時間 48分 平均時速 16.9km/h top
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